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日本は日本人の国であり、決して不法入国者等の外国人の国ではありません。※各サイトからも転用させて頂いておりますので、著作権等を気にされる方はご連絡下さい。直ちに削除します。
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赤い彗星

Author:赤い彗星
日本国は日本人の国であり、捏造の歴史や逆差別を武器にする土人や蛮人に、好き勝手にされて良い国ではありません。
大和民族よ!そろそろ敗戦ショックから立ち直りましょう!
戦後70年の日本の歴史教育は、二度と日本を強くしない為の戦勝国の押し付けだと気づいて下さい!
ヘイトスピーチ人権や著作権上の問題がございましたら、いつでもご連絡下さい。

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448_2_20170208153550de5.jpg
朝鮮総連本部


以下は、Youtubuにアップされている動画にあるテキストです。
このことは日本人全員が過去の事実として知っておくべきことです。
みなさんの手による拡散を希望します。


~~~~~~~~~~~~
「在日のタブー、朝鮮進駐軍」

※「朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)」とは。

在日朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、
終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地において
婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、
鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。

●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃●
------------
「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。

約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。
日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。

戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、
勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、
三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。


在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、
勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。
GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。

戦後の治安が整っていない空白を良いことに、
「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、
銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。

「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。
これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。

国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。
そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、
そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。


農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、
食料や商品を根こそぎ 奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、
暴利で財を成したのは彼らであった。

財を成したのは彼らは分派し、政治組織として
社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。

「朝鮮進駐軍」と名乗る在日朝鮮人暴徒たちは、
通りすがりの市民に言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。
無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた婦女子を
路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。

在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、
徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。

腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、
手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。

通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、
無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。

善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、
純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。


警官が駆けつけても手も足もでない。
終戦後の警官が、
一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、

「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」

と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。

戦後当時の「朝鮮進駐軍」は今日の朝鮮総連本部である。


【昭和26年03月22日衆議院法務委員会】

【押谷委員】
お尋ねをいたしますことは、昨朝起りました朝鮮人による米兵に対する暴行事件であります。

昨二十一日の午前三時半ごろに、
浅草の千束町の朝鮮マーケット附近におきまして、
六名の米兵が多数の鮮人に取囲まれまして、集団的に暴力を加えられて、
一名は死亡する、二名は負傷する、自動車も破壞されるというような
不祥事を起したのでありますが、
わが国の講和を前に控えて、今日日本の置かれたる国際的地位などから考え、
この時期を思いまするときに、まことに遺憾しごくな事件だと考えます。

終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。
軍の兵器を盗んで来たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、
小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、
時には殺人まで、経済犯、実力犯を中心にあらゆる悪事を重ねていた。

銀座、浅草、新宿は朝鮮人、新橋、渋谷は台湾人に支配され、
政府も警察も動揺し、手を拱いていた。
戦勝国民は治外法権だったのである。
だから食管法に限らず、戦勝国民には日本法を適用出来なかった。
服部時計店や白木屋も米軍の酒歩(PX)に接収され、
そこへ行けば食料に限らず物資は山ほどあった。
日本人は買えなかったが。

そうした情勢に便乗し、
朝鮮人は戦勝国民だの「朝鮮進駐軍」を僭称して
堂々と闇商売を行い、派手に稼いでいた。

そりゃ儲かるだろう。
警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから
(さすがに銃撃戦は挑まなかった模様)。

当時は物不足で、売る方は素人でも出来た。
仕入れこそ難しかった。

彼等は日本人露天商を襲って商品を奪う。

それで警察が黙認して捕まえないのだから、こりゃあ損のしようが無い。
警察が襲撃されることしきりで、署長が叩きのめされたり、
捜査主任が手錠を賭けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず。

上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ国税局査察部が査察に行った際、
大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って二十人ぐらいで
一斉に金庫の扉を押したものだから査察官は腕を切断されてしまった。


当時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、
第三国人の襲来によって犯人を奪還された富坂警察署事件、
ついでに警官が殺された渋谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し
外部との連絡を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、枚挙に暇有りませんでした。


東京東部(すなはち大東京の中心地)北郊の荒川、
古利根-中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった。

当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、
深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、河原へひいて行って屠殺した。
牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、
銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった。

永年愛育し、慈しんで来た牛が悲しそうに泣きながら
ズルズル引き出され殺されるのを傍観するのは
無念で耐え難かったが、手向へば殺されるのでどうにも出来なかった。

そうして利根川水系流域一帯の牛は皆、不良朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。

この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を売りに来たものだ。
上流で屠殺した牛を、そのまま下流へ売りに来たのだろう。
かくて南関東から、牛はいなくなった。

家/畜相手ならまだしも、人間に対しても、
関東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つような勢で数多犯罪を重ねた。
川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。
その最も著しい象徴的事例に、元文部大臣、
後の首相・鳩山一郎氏に対する集団暴行・傷害事件がある。

翁が軽井沢の静養先から帰京しようとして信越本線の汽車に乗っていたら、
例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、

「俺達は戦勝国民だ、おまえら被支配者の敗戦国民が座って支配者様を立たせるとは生意気だ、
この車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、
愚図愚図するな!」と追い立てた。


それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい、
と一乗客として穏やかに抗議したら、
たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした。
幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、
頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。

年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、
いかに不出来な孫にせよ。
孫共はこれを知らんのだろう。


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直後に総理大臣に成る程の大物でもかくのごとし。
いわんや庶民におては 土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった。

闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、
ことには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が片端から強奪された。

今、朝鮮人が駅前の一等地でパチ/ンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、
皆、あの時奪った被災者の土地だ。


それでも警察は手が出せなかった。
歴代首相大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう。

ある日、警察は何月何日を以て廃止す、
再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、それ切り警察は消滅する。

七百万の大軍を擁した彼の帝国陸海軍ですら、
左様にして両総長 両大臣以下、自然廃官になった。
まこと敗戦は悲しからずや。

たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み
「浜松大戦争」になった訳だが、「小戦争」は日本中に頻発した。

最後の頼みの綱は連合国軍であったが、
遂にはその憲兵隊でも手に負へぬ非常事態に立ち至った。


それでさすがに米軍も腹に据えかね、
日本本土全域の占領を担当していた米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、
関東と言はず関西と言はず、はたまた北九州と言はず、
不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、
街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、
人の背丈程に大きな重機関銃を構へて不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、
ようやく鎮圧した。
我々はその火器のきらめきを間近に見た。

この時、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥の発した布告が、

「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」

と言い声名で、これぞ「第三国人」なる語のおこりである。
だから、外国人差別用語なはずは無い。
彼等自身、マッカーサー元帥以下、一人残らず皆、外国人ではないか。

連合国軍総司令官は、日本人に対してこそ絶大な権勢を振ったが、
本国や同盟国、対日理事会や極東委員会に
気を使わねばならぬ外交センスの要る役職であった。

何人にもせよ、敗戦国民以外を、声名発してまで差別なんぞする筈が無い。

「第三国人」の語は、国際法に則って説いた技術的専門用語に過ぎない。


終戦後の朝鮮人の横暴は目に余るものであった。

東京のど真ん中、銀座の交番に於いてさえ、
朝鮮人を注意した巡査が複数の朝鮮人の襲撃を受け
裸にされ警棒を尻に突っ込まれると言う乱暴を受けた。

当時の日本警察は拳銃の携帯が許されておらず、
朝鮮人の横暴を止められなかった為、政府はマッカーサーに請願した。

これを受けて述べたのが、マッカーサーの
「朝鮮人は戦勝国ではない第三者だ」
と言う三国人発言である。

1950年にGHQは日本占領を終結し、
解放し、実質的に戦後は終わったとされています。

その際に朝鮮人は日本籍を剥奪され、韓国籍として朝鮮に帰れと命令しました。
不要の朝鮮学校と民団総連も廃止し解散請求しました。


すると在日朝鮮人は、なにを履き違えたか
「我々は先勝国民であり日本を統治する立場だ」と叫びだし、
革命を叫んで、公共施設の不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。

警察も拳銃で対抗し射殺された人もでました

警察では対処できなくなり、GHQは軍隊の動員をして
戦後初の戒厳令を敷いて朝鮮人による暴動を平定しました。

この戦後初の戒厳令が敷かれた朝鮮人動乱(正式名がない)事件は、
日本の歴史からスッポリ抜けています。


死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。
(日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です)

逆に朝鮮民族学校の教科書には差別と弾圧として掲載され教育されています。
勿論、被害者側としてであり、立ち上がったのは国籍条項と朝鮮民族学校の廃校に対する
抗議としてであると述べています。

日本人として、
在日朝鮮人への危機感は常に持つべきですね。



言っておくが日本国内だけではない。

朝鮮半島を朝鮮を近代化させて、
恩あるはずの我ら先人の日本人を集団で襲って、
強姦強盗不動産窃盗と悪の限りを尽したのを皆忘れてしまったのか。

多くの日本人は、朝鮮人に襲われ、
無念にも命を落とし、帰れなかった人は数知れない。

彼らの悔しさを思うと、
日本人の敵朝鮮人に参政権という言葉は決して出てこないはずである。

このことを誰も伝えようとしないが、事実は決して消える物ではない。

朝鮮人の日本人に対する犯罪は、
触れては成らない理由があるのか不思議な日本人達だ。



●なぜ日本にだけパチ/ンコ屋があるのか?

今から70年ほど前、日韓併合後に朝鮮人は自らの意思で日本に渡ってきた。
その後日本は第二次世界大戦で連合国(米・英・オランダ・支那・オーストラリア)と戦争に突入。
英・オランダ・支那・オーストラリアには勝ったものの米に敗北し、
ポツダム宣言を受け入れ連合国に降伏した。

すると朝鮮人たちは「我々は戦勝国民」であると主張し、
「朝鮮進駐軍」を名乗り、各地で暴れ始めた。

日本の男たちは戦場に駆り出され、残っていたのは女、子供、老人ばかり。

朝鮮人はやりたい放題で、駅前の一等地は朝鮮人に襲撃され占領された。

もちろん、そこに住んでいた日本人女性は容赦なく強姦され追放されたのです。

当然、日本人は朝鮮人を強く憎むようになった。

そのため、在日朝鮮人は日本名を名乗るようになった。

朝鮮名を名乗ることは自分が犯罪者だと宣言しているようなものだったからだ。

その後、朝鮮人達は共産主義者と組み、マスコミを使って歴史の捏造を始めた。
「強制連行されて来た」
「土地を奪われて仕方なく来た」等など。

そして強姦・殺人犯罪を謝罪するどころか、土地を占拠し続けながら、
「俺たちは何も悪いことをしていないのに差別される」
「不当な差別を受けている」などと宣伝し始めた。

「朝鮮進駐軍」を知らない若い世代の日本人たちは
在日に対して、罪悪感を持つようになった。

そして在日たちは日本人から奪い取った一等地で商売を始めた。

それがパチンコである。

今でもパチ/ンコ業/界の8割が在日が経営者である。
パチンコ業界は今や30兆円産業と言われている。

なんとあの日本が誇る自動車産業より上なのだ。

だが自動車産業とは違いこのパチ/ンコ業/界は、
日本が誇るどころか日本が恥ずべき業界なのだ。

なぜならパチンコ業界は経営者の脱税と、北朝鮮への不正送金・犯罪の温床など
日本人にとって極めて不利益になる事ばかりをしている。

「日本のパチンコがある限り我が国は安泰だ。」(金正日)

日本の政治家や警察にもパチンコの金が流れている。

だから
「パチンコ・パチスロはギャンブルではない娯楽だ。」
などという、馬鹿げた論理がまかり通っているのだ。


しかし祖母や曾祖母が朝鮮人に強姦された場所で、
今の奴らはパチンコやスロットを打つとは・・・・・。


これは「日本人」以前に「人間」として恥ずべき行為ではないのか?

在日朝鮮人が経営するパチンコ屋が駅前に多いのではなくて、
パチンコ関係の会社の経営者は在日朝鮮人が殆どです。

それぞれの企業の代表者を調べれば中国式(朝鮮式)の名前です。

名前が日本風であっても通名である場合もあります。

そしてその他の風俗店、焼肉屋などにも多いです。

なぜ強制的に連れて来られたと騙っている彼らが、
差別が酷かったと騙りながらも、今のように駅前で
莫大な富を生み出す違法な賭博場を開けるまでになったのでしょうか…。

終戦直後、駅前には闇市が出来上がり商売に適した場となりました。

当時、自分達を三国人と称して、自分達には治外法権が認められていると勘違いし、
日本の闇市を席巻していたのは朝鮮半島出身者達でした。

彼らは「在日朝鮮人連盟」という自治団体を結成し、
その組織の力をバックにやりたい事をやりまくりました。

警察署でさえ武器を手に持ち押し入って、
留置所から仲間を連れ出すことさえやってのけました。
(全ての朝鮮人がそうであったとは言いません。
しかし、同胞の不正に目を瞑っているというのは酷い事です。)

他の方も書いておられますが、
悲しい事にこの勢力に対抗できるのはヤクザしかいませんでした。

この事を、今のマスコミも教科書も伝えませんが、
こんな酷い話を載せる事を編集者は怖がります。

それが元で憎悪が広がりかねませんから。
そしてマスコミも教科書もこの事を書けないのは、
常に朝鮮系の圧力団体(朝鮮総聯や韓国民潭)や
政治的な圧力団体からの圧力があるからです。


教科書などはいつも圧力団体の抗議にさらされていますね。

こういった事実を書くと、必ず「それは民族差別である」という方が居られます。

しかし、在った事を書けば差別で、
見て見ぬ振りをすれば差別ではないのでしょうか?

これは民族差別ではなく、犯罪者差別です。

日本人には民族という概念は薄く、犯罪者を嫌う、という感覚が有ると思います。

むしろ民族、民族と口やかましいのは外国人であったりします。

最近まで、北朝鮮の拉致はでっちあげだと言っていた人たちがいます。

マスコミは拉致事件を大きく取り上げませんでした。

同じように、パチ/ンコの問題も嘘で塗り固められ、マスコミは沈黙したままです

で、不法占拠に関して言えば、
駅前一等地をどんどん奪っていったというわけではなく、
空襲などが激しくて殆ど元の住人がいなくなった地区単位で
丸ごと奪ったという例を(神戸のある地区や柏市など
朝鮮人部落などと評された地域のことを)よく聞きます。

なぜこういった不法占拠が既成事実化してしまうところまで
放置されてしまったのかは、弱者であることを強みにして
暴力や脅迫などで民闘連を推し進めてきた成果でしょう。

新聞でちらっと書くだけで脅迫・暴行の対象になる訳ですから、
ましてや教科書なんかには残るはずもない話であります。


ぶっちゃけ、在日朝鮮・韓国人は不幸の民でもなんでもないよ。

あいつらは元々半島で差別を受けていた白丁という奴/隷階級。

日本との併合で白丁たちは解放されたけど、
それでも差別が強かったためにろくな職業につくことができず日本へ渡ってきた。
強制連行でもなんでもない。
しかも大半が密航。


関東大震災で朝鮮人が井戸に毒を投げたとかいうデマが広がって、
あいつらはいまだにそのことを恨んでギャアギャア騒いでるけど、
なんの根拠もなくそういう噂が広まったわけじゃない。

朝鮮人は、震災で倒壊した建物から金品を盗み出したりしていて、
それを戻ってきた住民に見つかって問い詰められると

「ココワタシノイエ!」などと開き直って家主を唖然とさせた。

それまでの東京は、家に鍵を掛けなくても泥棒なんて
滅多に入らないほど治安がよかったけど、
それからはみんな家に鍵を掛けるようになった。

戦後に到っては、戦勝国でもなんでもないのに
(*大韓民国臨時政府は国際的に正式な臨時政府と認められていませんでした。
つーか日本と韓国は当時同じ国だったからあいつらも敗戦国)

「独立だ!オレたちは朝鮮進駐軍だ!」とのたまって、
各地でレイプや略奪を繰り返していました。

田舎に疎開していた人たちが家に戻ってくると、
いつの間にか家が朝鮮人に乗っ取られていて

「朝鮮勝った!おまえら負けた!この家はおれのものだ!」と言って、
元の住民は、ここが自分の土地だと証明する書類も戦争でなくしてしまい、
どうすることもできなかったそうです。

駅前って、パチ/ンコ屋だの金融業者が多いじゃないですか。

あれって、大半が戦後に在日朝鮮人が不法占拠した土地なんですよ
(*パチ/ンコ屋と金融業は8~9割が在日企業)。

在日は民潭や総連など暴力団ともつながりのある組織とつながっているため、
元の地主は取り返すことができず、
田舎でほそぼそと暮らしているらしいです。

さらに許せないことは、戦後の混乱しているときに、
朝鮮人は神風特攻隊の飛行服を着て悪逆非道を行っていたということです。

わざわざ国のために死んでいった人たちを貶めるためにね!

これは現在の街宣右翼と呼ばれているひとたちも同じで、
彼らの目的は愛国心=軍国・民族主義と一般人に刷り込むことです。

考えてもみてください、威圧的な車に乗って
軍歌を大音量で流してるような人たちを普通の人が見て、
こころよく思うはずがありませんよね。

彼らの大半も、日本の弱体化を狙う在日や中国人です。

あげく、最近の在日は、自分達にも参政権を寄こせとか言ってくる!

外国人に地方参政権なんかあげたら最後、
韓国が領有権を主張している竹島や対馬に集団で移り住んで
自治宣言→韓国領に編入されてしまいますよ!

在日が日本を愛しているわけがないんです。

いや、そもそも本当にこの国を思っているのなら、
帰化して日本国籍を取ればいいじゃないですか。

民族の自尊心とやらは、
帰化したくらいで無くなってしまうほど薄っぺらいものなんでしょうか?

そんなことを言ったら、
元々日本人とは人種の違うアイヌ人や沖縄県民に失礼です。

テレビなんかでいかに在日が不幸な民かをやっているけど、
テレビ局は多数在日が潜り込んでおり、彼らは自分達のためだけにしか動かない!

やつらは不利になると情に訴えるけど、だまされないで。

本当に彼らの言ってることが正しいのか、自分で様々な資料をよく調べて、考えてみて!


日本を守りましょう!

~~~~~~~~~~~

引用終わり。

















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2018/12/18 08:55 事実 TB(-) CM(0)
※転載元http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12131589565.html

t02200314_0491070013539787440.jpg
※銀座で暴れる香山リカ(本名金梨花)これくらい日本人を怨んでいます。

僕は朝鮮人が大嫌いです。
しかし、僕は民族差別で朝鮮人が嫌いだと言っているのではないのです。
彼らの行動が我慢できないという意味で言っているのです。

「朝鮮人といっても一般には良い人も悪い人もいる。
朝鮮人全体でそのようなことを言ってはいけない」
という人もいます。

この間もサクラチャンネルに在日朝鮮人が出ていて言っていました。
日本人
「何故、貴方がたは帰化しないのですか?」
朝鮮人
「帰化はしません」
と言うのです。
その理由は「朝鮮人が偉いのだ」と思っているのです。

在日朝鮮人は
「日本よりもはるかに文化の進んだ朝鮮が、なぜ下級の国である日本に帰化するのか。
こんなことは死んでもできない。
我々のプライドが許さない」
と考えているのです。
だから帰化しないのです。

帰化した朝鮮人は
「本当は日本人なんかになりたくないのだ。
朝鮮民族は偉大だから日本人になる必要は全くない。
しかし、生活の面で朝鮮籍だと不便があるので、帰化をする。
我々は帰化をしても偉大なる朝鮮民族なのだ」

このように考えるのです。
そこに生まれてくるのは朝鮮人ではなく、日本籍朝鮮人になってしまうのです。

実は「朝鮮人が日本人より優れている」というのは劣等感の裏返しです。
何をとってみても日本にはかなわないのです。
そこで日本人を軽蔑するのです。
何の根拠もないのに
「韓国人は日本人よりもはるかに偉大であり、5千年の歴史をもって、
縄文文化を持った倭人に文化を教えたのは我々だ。
我々は中国文明に近い、日本はずっと遠いのだ。
文明の中心は中国である。
その文明に近い我々の方が上であり、
さらに東にある日本列島は蛮族の集団である。
日本人などと言われることは恥ずかしいことだ。
恥ずかしいのに日本人になったということはやむをえざる生活上の理由からだ。
税金、結婚、四世だとか都合が悪いので日本籍を持つけれども、
我々は朝鮮人である」
と言うのです。

これは劣等感の裏返しです。
どの時代の歴史をみても朝鮮が日本より上だったことなどあり得ないのです。
彼らは日本の歴史を紐解いて2800年の王朝が続いているのでびっくりしたのです。
これ以上立派な国は世界中にないのです。
まず、それに気が付くのです。
日本人はすごいのです。
神武天皇以来、2800年の歴史があり、一君万民である。王朝に変化はありません。

聖徳太子は「日出処天子至書日没処天子無恙云々
(日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや)」
などと文章を書いているのです。
日本人の意識は「中国人より上だ」という意識があるのです。
『古事記』を見ても中津国(なかつこく)がでてきます。
この中津国とは日本のことなのです。
世界の中心であるから中津国というのです。

中国のことを昔はシナと呼んでいたのです。
江戸時代の学者の頼山陽や山鹿素行は気が付いたのです。
「中国など何の文明もない。
次から次へと殺し合い、異民族が支配してきた歴史だ。
国が起きて潰してそれが4千年くらい続いているだけであり、
中国という1つの国があったわけではない。
それに比べて我が国は2800年間、一貫とした王朝がある。
だから日本のほうがずっと文明国で優れている。
我々の文明は中国文明などに劣っていないのだ」
と思っています。
だから「天皇」というのです。
中国は皇帝です。
皇帝は国を潰せば次の人間が誰でも皇帝になれるのです。

「天皇」はすぐにはできません。
この自覚です。

このことに朝鮮人がふれると気が狂わんばかりの火病になってしまうのです。
「ぐやしい~!」ということです。
日本人はずっと王朝が続いているから、
いざ戦争になったときは天皇に命を捧げることで団結することができるのです。

朝鮮人は何もないのです。

何でまとまるのでしょう。
李王朝はすでにありません。
朴 槿惠に命を捧げるのでしょうか。
そんなことは嫌なのです。
まとまるわけがないのです。
だから朝鮮人は個人主義になり、誰も信じないのです。
自分しか信じていないのです。
だから自分を主張するわけです。
矢沢永吉さんは日本籍を持っていながら選挙は一度も行っていません。
自分しか信じていないのです。
忠誠を尽くす対象がないのです。
これが「国がない」ということです。
誇るべきウリナラの歴史を調べてみたらすべて属国であったのです。
一度も独立したわけではないのです。


518年続いた李王朝も中国から認められた王朝です。
中国の属国だったのです。
年間美女3千人など貢物をして「朝鮮王にしてやる」と言われて、
土下座して王朝を続けてきたのです。

何も誇るべきものがないのです。

李氏朝鮮時代、殿様はいませんが両班(リャンパン)がいました。
両班は貴族公務員です。
日本の殿様は生まれながらにして殿様です。
「私は主である。お前たちは家来である」ということです。
家来は「私たちは殿様のために命を捧げます」と言うのです。
両班は試験に合格して命令してきた人間だから命を捧げる対象ではないのです。
両班の役職をやっている間にお金を稼ぐのです。
ワイロをやり、かっぱらいもする、人殺しもする、
女はかっぱらい、そんな奴らが両班です。
道徳などありません。

道徳は両班が勝手に決めるのです。
「おい、その女を連れて来い。来なければ、死刑にしろ」と言うのです。
両班が道徳です。
そんな国ですから、まとまった意識はないのです。

朝鮮で軍隊をつくる場合は、畑にいる農民を投げ縄で捕まえて、
「おい、お前は兵隊をやれ。やらなければ殺すぞ」と脅して兵隊にするのです。
代々伝わる殿様のために「喜んでいきます」というのではないのです。
みな奴隷です。

朝鮮軍は一番後ろに指揮官がいたのです。
日本の場合、将校は前にいて「進め、突撃!」というのです。
朝鮮の場合は、一番後ろにいて「行け!」と命令するのです。
怖い兵隊は逃げ帰ってくるのです。
その兵隊を殺すのが朝鮮の将校です。
そんな軍隊は弱いに決まっています。
兵隊は嫌々戦争にいかされたのです。


そのような歴史を調べてみると、在日朝鮮人は絶対に日本人と仲良くできません。
次にどうなるのかというと、「日本の歴史くらい汚いものはない」このように考えるのです。
だから愛国心、日本精神を説く者は大嫌いなのです。
靖国神社に行く者は大嫌いです。
井筒監督も「靖国神社など絶対に行くものではない」と言います。
靖国神社を認めるということは、日本の歴史を認めるということになるのです。
だから絶対に朝鮮人は認めないのです。
次に天皇を絶対に認めません。
認めないから韓国人は天皇のことを「日王」というのです。
「日王」とは何でしょう。日王ではなくて天皇です。
韓国は公式文章で日王と言っているのです。
姜尚中も「日王」というのです。
自分が育ててもらった国の国主に対して「日王」などと無礼なことをいうのです。
日本の歴史を調べるとすべてにおいてかないません。
すごい民族です。
「だから大嫌い」というのが在日朝鮮人の発想です。
日本的なことをいう奴には逆らい、
「日本の歴史をなくしてしまえ!」というように働くのです。
在日朝鮮人全員がそうです。
その精神構造が僕は「嫌いだ」と言っているのです。

「日本が素晴らしい。
有り難い。私達、韓国人も日本人になれるように頑張ります」という韓国人は良い人間です。

日本が嫌いでマスコミを握り悪さをしている朝鮮人、
政党に入り込んで悪さをしている朝鮮人、
その悪さをしている根本は在日朝鮮人の劣等感であり、
これは拭い去ることはできないのです。


これを皆さん知っていきましょう。

















2018/12/17 11:49 事実 TB(-) CM(0)
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山のように存在する韓国起源説を簡単にまとめてみた。
日本の文化についての勉強にもなると思います。

韓国起源説とは?

「 韓国起源説とは、韓国の個人・団体などが、
他国の文化などの起源・伝播を朝鮮半島に求める、
根拠不十分で非合理な言説群の俗称。 韓国起源論ともいう。

研究者や文化人が個人的に主張する説から、
公的団体が正式に主張する説まで多岐にわたり、
一時的にマスメディアで流布される場合から、
継続的に国際的な広報活動が行われる場合まで様々である。
特に、日本文化や中国文化が対象とされる場合が多い。

また人物に対する韓国起源説の一種として、
韓民族優越主義の観点から日本の各界で活躍している人物を
事実や根拠にもとづかず在日韓国・朝鮮人であると主張する在日認定がある。


韓国起源説の実例

ここで取り上げる事例は次の基準による。
★ 「 著名人が主張した説 」 または 「 メディアが報道した説 」 以上を対象とする。
★ 韓国国内外における、説の認知度・浸透度は問題としない。

★ 「武芸(剣道、剣術、侍、武士道)」

◆主張 : 恐らく最も有名な例が、韓国人が主張する、剣道、剣術、侍、武士道の韓国起源説であり、特に剣道韓国起源説は韓国起源説が日本のネット上で注目されるきっかけとなった。 剣道韓国起源説がネットを介して流布されたことにより、全日本剣道連盟に対応を求めるメールが殺到し、全日本剣道連盟は公式ホームページで、韓国起源説を否定する事態になっている。

◆事実 : 剣道は日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であり、韓国ではテコンドーと並ぶ人気武道である。 日本の剣道との差は蹲踞(そんきょ)がないことや袴の色や形程度であるが、韓国最大の剣道団体である 『 大韓剣道會( Korean Kumdo Association ) 』 や 『 世界剣道協会( World Kumdo Association ) 』 が公式ホームページ等で、剣道の起源が韓国にあると主張しており、 『 国際剣道連盟( International Kendo Federation ) 』 に参加していながらも、その正式名称は 『 剣道 』 ではなく剣道の朝鮮語音の 『 コムド( kumdo ) 』 であると主張し、剣道の真の宗主国として当然であると主張している。 『 大韓剣道会 』 の広報理事の崔民秀は 「 『 剣道は日本のもの 』 という誤った認識を正す 」 と述べている。

「剣道が剣道でなくなった日」 ~2012年、イタリアで開催された大会決勝の記憶~

「敵対心」 をむきだしに
 個人と団体で行われる剣道の世界選手権。 最大のクライマックスは男子団体戦にあることは疑う余地がない。 「 国の威信 」 がかかった団体戦を制したチームこそが真の王者として認められるからだ。
 大会の決勝は下馬評通り、日本-韓国だった。 宿敵同士の対戦にイタリア北部の小都市、ノバラの会場は異様な興奮に包まれた。 韓国選手が日本に対して異常なまでの敵対心を燃やしてくるのはサッカーや野球などと変わらない。 しかし、剣道が他の競技と違うことは、純然たるスポーツではないという点だ。 勝っても負けても、勝ち方や負け方が問われるということだ。
 アジアの両雄同士の決勝はもつれて、日本が2-1で紙一重の勝利を飾った。 大会連覇で面目を保った形になったが、内容的には “問題あり” だった。 少年剣道においても、試合後に両者は蹲踞(そんきょ)の姿勢をとって剣先を合わせるのだが、韓国の選手はそれを無視するかのように拒んだり、審判の判定に抗議する素振りを見せたり…。 およそ武道の精神から逸脱した不遜(ふそん)な態度や観客席からのブーイングを交えたヤジは、1970年から続く世界大会の歴史の中でも恥ずべき 「 汚点 」 といっていい。
 「 礼に始まり礼に終わる 」 剣道にあって、相手に対する非礼は決して許される行為ではない。 「 剣道の試合は、互いが 『 9歩の間合い 』 で向かい合い、気を合わせて礼をする。 その後、開始線まで進み、蹲踞の姿勢を取って、審判の 『 はじめ! 』 の合図で始まる。 『 勝負あり 』 の宣告後も互いに剣先をはずさず蹲踞し、9歩の間合いまで退いたのち、再び一礼を交わす。 この勝ち負けを超えた所作ごとに剣道精神の神髄がある 」 とある関係者は語る。 非は一方的に韓国にあるものの、優勝した日本にとっても後味の悪い戦いを演じた悔いが残った。

「特異」 な剣道環境の韓国
 韓国には剣道に似た 「 コムド 」 という伝統競技がある。 一部の韓国人は 「 剣道の起源は韓国にある 」 とかたくなに信じ、ライバル心をむき出しにしてくる。 武道の心はそっちのけで、ケンカのような様相になるのだ。
 剣道の普及では日本に分があり、剣道人口も日本の方が圧倒的に多い。 また、韓国の剣道には勝利至上主義が根底にあり、 「 負けの美学 」 などという考えは通用しない。 「 韓国には剣道の “プロ” が存在し、彼らが世界選手権に出場する。 日本の場合は、警察官が剣道を優先して稽古できる環境に置かれているが、あくまでも本業は “警察官”。 韓国ほど徹底して剣道に打ち込める環境にいる剣士は限られている 」 ( 「 剣道世界一への戦い 」 スキージャーナル )

★ 「日本刀」

◆主張 : 韓国系移民が運営する世界各地の武術道場などで韓国古来の剣として使用している。 また、刀剣職人のホン・ソッキョンらが、 「 日本刀はまさにこの技術を我が国から盗み出して伝承している 」 「 我が国の刀剣技術は三国時代と朝鮮時代、日帝時代を経ながら、刀剣職人がほとんど日本に連行されてしまった 」 「 元々、我が国の伝統刀剣製作技術は世界的なものであり、刀剣技術者を無差別に捕えて連れ行ったことはよく知られた事実だ 」、 「 日本には我が国が使った正統技術がそのまま伝授されていて、今でも良い刀がたくさん出てきています 」 などと主張。 「 韓国刀の原型を取り戻すために日本に学びにいく 」 とまで主張している。

◆事実 : 韓国で伝統的に使われた剣は、鉄鉱石から鋳造で作った、両刃の直剣か 「 環刀 」 と呼ばれる片刃の直刀で、製造方法や形状が日本刀とは違う。 韓国で大々的に日本刀のような形をした刀が使われるようになったのは、17世紀以降のことであり、当初は日本刀を輸入して模倣したものを 「 倭刀 」 と呼んでいた。 それ以降朝鮮半島で作られた刀もやはり日本刀とは製造方法が違う。


★ 「居合道、抜刀術」

◆主張 : 韓国古代の武術コハプト( Guhapdo )として世界各地で道場を開いて広報活動をしている。 正統武芸道場 正気館のイム・ヒョンス( 林鉉洙 )が 「 我々はいままで多くの物を日本に奪われました。 今は我々の物を取り戻すべき時だと思います。 居合道も高麗時代日本に渡っていった我々の剣術に過ぎません 我が国には新羅時代の花郎徒以前にも居合道という武術がありました。 日本が国宝にしている七支刀も実際は百済の刀です 」 と主張している。

◆事実 : 居合(抜刀術 )は室町時代に本格的に体系化されたものであり、居合道は明治時代末期になってから 「 武術 」 を 「 武道 」 化したものである。 七支刀は儀礼用のものであり剣術とは関係がない。 また、イム・ヒョンスは何か誤解しているようだが日本側は別に七支刀が百済由来のものであると言うことを否定しておらず、むしろ百済由来だからこそ国宝に指定されている。


★ 「柔道」

◆主張 : 剣道と同じように日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であるが、Yudo( 「 ユド 」 と発音。 柔道の朝鮮語音 )の名で海外で普及活動が行われており、全米ユド協会( United States Yudo Association )はその公式ホームページにおいて、柔道の起源を朝鮮半島にあるとし、 「 柔道は豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わりその後朝鮮半島では柔道は廃れ、20世紀になって日本から再輸入された 」 と主張している。

◆事実 : 日本の体術の伝統は、文献によれば 『 宮中行事秘事 』 に伝えられる聖武天皇の神亀3年( 726年 )に行われたとされる相撲節会に遡ることができ、組討や、人を捕らえるための捕手などと呼ばれた武技がすでに行われていたことが確認できる。 柔術と確認できる最古の源流としては天文元年( 1532年 )に竹内久盛が開眼し、子竹内久勝が広めた竹内流武術がある。 江戸期には多くの流派が存在しており、明治期に嘉納治五郎が合理的な近代体術として整理体系化し、人間修養の精神を取り入れ 「 柔道 」 と呼称したものである。


★ 「道の精神」

◆主張 : 大韓柔道有段者会のヨ・サンファン会長が 「 柔道の発祥地は日本だが、 『 道 』 の精神は韓国から渡ったもの 」 と主張している。

◆事実 : 日本の 「 道 」 とは 「 芸道 」 のことであり、中国の 「 道 」 ( タオ )の哲学とは別物である。 日本の 「 道 」 の精神とは、実演者の日常生活における立ち居振る舞いと、専門的な技術的修練を同一とみなし、双方の向上により、実演者の人格と技芸を相乗効果的に高めることを目指したものであり、日本独自に発展体系化したものである。
反則、審判買収 etc. …… 朝鮮人が 「道」 を説く?!笑っちゃいますねぇ~
スポーツに向いてない朝鮮人という民族性


★ 「空手」

◆主張 : 韓国では、テコンドーの起源は三国時代以前から始まるテッキョンであると公式に認定されており、海外でも 「 韓国古来の武道 」 として普及に努めている。 また、日韓併合時代にテッキョンが抹殺されたが、韓国がテコンドーとして復活させたとまで主張している。 さらに韓国の一部には空手の起源をテッキョンに求める言説すらあり、韓国の釜山で開催された2002年アジア競技大会では、韓国人で構成される大会組織委員会が、公式サイトに韓・日・中・英の4ヶ国語で 「 空手の起源はインドで唐の時代に中国と韓国に伝わり、その後韓国が日本に伝えた 」 と記述し日本側が抗議するという事態が発生した。

◆事実 : 空手は琉球から日本本土に伝わったもので、テコンドーは戦後に空手を参考にして新たに作られたものである。 また、韓国が国技院副院長が明らかにしたところによると、 「 テコンドーの起源を三国時代以前とすることが一般的だが、 歴史的想像力を動員してもそれには無理がある。 中国から日本へ入り、日本が改良して韓国へ入ってきた。 テコンドーは空手の変形である。 私も創始期にはテコンドーの起源をテッキョンとして本を執筆したことがあるが、海外に普及させる過程で昔からあった韓国の伝統武術だとすれば名分が立つからである 」 と告白している。


★ 「相撲」

◆主張 : 中央日報が、日韓文化交流を紹介する中で、韓国シルム連盟関係幹部の 「 日本相撲協会は相撲の本流である韓国シルムへの待遇がなっていない 」 との心境を紹介し、相撲の起源をシルムとして紹介した。

◆事実 : 日本における相撲の起源は古墳時代の埴輪まで遡る事ができ、シルムの方も高句麗時代に描かれた壁画や後漢書にシルムに関する絵・記述がある事が確認できるためどちらかが起源と言うような関連性はなく、別々に似たような競技が発生しただけなのではないかと思われる。 少なくとも日本の相撲の起源が間違いなく韓国のシルムだとするような資料は、現時点では存在しない。


★ 「忍者」

◆主張 : 韓流ファンのフランスの若者が組織し、駐仏韓国文化院と韓国観光公社パリ支社と農水産物流通公社が後援して韓国文化を国際的に紹介する 「 Korean Connection 2011 」 が、 「 忍術は4世紀に朝鮮半島から日本に導入された韓国起源の武術 」 「 多くのコリアンが忍者の里の甲賀や伊賀に移住した 」 と主張し、忍術をパリで公演している。 また、韓国系移民がイタリアで運営する 「 スルサ道場 」 が、新羅軍の 「 花郎 」 の中にある特殊部隊 「 スルサ 」 が忍者の起源であると主張している。 この中で 「 幾人かのスルサ戦士が日本に亡命し、日本の忍者の理論にアイデアを提供した 」 「 スルサドーを含むすべての韓国マーシャルアーツに見られる瞑想テクニックは、日本の忍術の秘技のなかに残っている 」 「 日本のマーシャルアーツは太平洋戦争でいち早く有名になっただけ 」 と主張している。

◆事実 : これらの韓国起源説は、各種メディアに登場する、派手な武術を使ったり、忍法で変身したりする、空想上の 「 忍者 」 を思い描いて自説を主張しており、実在した忍者に対する基本的な認識が間違っている。 実在した忍者は派手な特殊部隊や戦闘員というより極めて地味な諜報員や傭兵であった( 実際の忍者が行ったのは 「 変身 」 ではなく 「 変装 」 )。 忍術も起源説で主張されている 「 武術 」 や 「 マーシャルアーツ 」 の側面よりも諜報活動を円滑に行うための技術の集大成というべきものであり、 「 忍術 = 戦闘技術 」 と言う認識にも問題がある。 そして 「 花郎軍事組織説 」 自体が否定されているので朝鮮半島に 「 スルサ 」 という戦闘組織が実在した信憑性も薄い。


★ 「茶道」

◆主張 : 『 朝鮮新報 』 は 「 茶においては1千年前の新羅の時代の礼法がほとんどそのまま日本に取り入れられた 」 と主張している。 また、茶道の祖の千利休の祖父が千阿弥と名乗ったことからその名をとって千姓と名乗っていたことから千利休を朝鮮人と主張していた。

◆事実 : 茶を飲む習慣は遣唐使により中国から伝えられたものという説が有力であり、茶を飲む行為を哲学や教養や総合芸術にまで高めた茶道という文化は室町時代に体系化した日本起源のものであり、韓国の 「 茶禮( タレ ) 」 とは全く関係がない。 日本における茶を飲む( 喫茶 )の習慣は渡来した当時はそれほど普及せず、一度は廃れてしまったが鎌倉時代になって禅宗が広まったのをきっかけとして復活した。 茶の栽培もその時期に普及し、茶を飲むと言う習慣は一気に広まった。


★ 「盆栽」

◆主張 : 『 中央日報 』 が、2009年6月17日版において、イ・ギョンヒ記者が盆栽は日本で生まれたものではなく、14世紀に朝鮮半島にて生まれたもので、その証拠として 『 四季盆景図 4幅屏風 』 なる絵画を元に起源を主張している。

◆事実 : 実際の盆栽の起源は6世紀に中国で生まれ、遣唐使によって盆景として持ち帰られたものが、平安末期からの武士文化の中で磨かれ、日本独自に発展したものである。 『 四季盆景図 4幅屏風 』 は14世紀に朝鮮に盆栽のようなものが存在したと言う証拠にはなりえるものの、何故それが即 「 日本の盆栽の起源 」 になるのかは根拠不明。 記事内でも説明はない。


★ 「折り紙」

◆主張 : 一部の在米韓国人の女性グループが 「 折り紙はもともと韓国( 朝鮮 )で作り出されたもので、日韓統治時代に日本人が自分たちの文化と偽って世界に広めた 」 と主張し、現地で折り紙教室を開いている。 また、社団法人韓国折り紙協会は、起源については明確に言及しないものの、 「 日本の植民地時代に日本は韓国の文化を全面的に抹殺し、韓国の伝統的折り紙文化も排斥した 」 と主張し、日本とは別の折り紙文化が朝鮮半島に存在したと主張している。 また協会では検定制度により指導師を養成し、さらに、日本の折り紙を模倣したものを 「 韓国の伝統的折り紙 」 と称して世界各地で宣伝し普及活動をしている。

◆事実 : 朝鮮半島には儒教祭祀で使われる折った紙の造形物は存在したが、日本のような多種多様な対象物を紙で折る 「 遊び 」 の折り紙文化は存在せず、祭祀で使われる造形物の様式も日本の伝統的折り紙とは全く異なるものであり、これらの主張は事実無根である。


★ 「花札」

◆主張 : 韓流ファンのフランスの若者が組織し、駐仏韓国文化院と韓国観光公社パリ支社と農水産物流通公社が後援して韓国文化を国際的に紹介する組織 「 Korean Connection 」 が、パリで開催した 「 Korean Connection 2011 」 で、花札を 「 韓国ドラマに良く出てくる韓国オリジナルのカードゲーム 」 と紹介している。

◆事実 : 花札の原型となるカードゲームは安土桃山時代にポルトガルの宣教師が日本にもたらしたもので、花札の図柄やルールは日本独自のものである。 韓国には日本統治時代に伝わっている。


★ 「豆腐、蕎麦」

◆主張 : キム・ヨンボク慶南大学伝統食生活文化研究院長が 「 韓国のメミルククスを日本が模倣して蕎麦が誕生し、韓国のトゥブから日本の豆腐が生まれた 」 と主張している。

◆事実 : 豆腐は奈良時代に遣唐使により日本に伝えられたもので、韓国起源もしくは韓国を経由して日本に伝わったものではない。 そして、日本人がよく知る現在のような豆腐は日本で発展したものである。 また、作物としての蕎麦は中国から日本に伝えられたと考えられているが、蕎麦粉を麺の形態に加工する 「 蕎麦切り 」 の起源は明確ではない。 蕎麦切りの確認できる最古の資料は1574年に修復工事が完成した木曽定勝寺の寄進記録だとされており、初期の蕎麦切りの記録が信州周辺に多いことから、一般によく言われるとおり信州蕎麦がその起源であったのは間違いないと見られている。 二八蕎麦の由来は諸説あり確定していないが、韓国の僧侶元珍が伝えたと言う確定的証拠もまた存在しない。


★ 「日本酒」

◆主張 : 日本酒の起源は韓国の清酒という説がある。 日本人研究者が慶州の法酒は日本酒の先祖のようなものだと語った。 また、古事記の記述の誤読で起源を主張している場合もある。 さらに、近年、日本酒のルーツがマッコリであると多くの在日朝鮮人系酒店及び韓国料理店がWebサイトにて主張して問題となっている。

◆事実 : この主張は誤りであり、日本酒の本来のルーツであるどぶろくは口噛みの酒などに遡る事ができ、その発展と共に発酵方法や歴史的な流れも異なる。 なお現代のような清酒は、室町時代に奈良県の正暦寺で作られた僧坊酒 「 菩提泉 」 がその発祥であると考えられている。


★ 「寿司、刺身」

◆主張 : ロサンゼルスのコリアタウンで寿司屋を経営しているキム料理長が 「 スシとサシミは元来、中国と韓国に由来するもので、日本にはスシが自分たちの食文化だと主張する権利が無い 」 「 日本は第二次大戦以後にスシを食べ始めたが、韓国と中国は数千年間、スシとサシミを作ってきた 」 と主張した。 また、キム・ヨンボク慶南大学伝統食生活文化研究院長は 「 韓国の食べ物パプシッケを模倣したのがスシ( 壽司:すうし )だ。 1700~1800年頃寿司が最初に開発されて日本の代表的食べ物であるハコスシ( 箱すし:サンジャチョパプ )が創造された 」 と主張している。

◆事実 : 「 日本は18世紀、もしくは第二次大戦以後に寿司を食べ始めた 」 というのは事実無根で、浮世絵など江戸風俗を取り扱った作品を見れば江戸時代後期には今と同じような握り寿司が食されていた事がすぐ分かる。 世界で一般的に 「 スシ 」 として知られている握り寿司の初出は19世紀初頭の華屋與兵衛が創作した江戸前寿司とされる。 酢飯を使った寿司の起源は必ずしも明確ではないが、少なくとも17世紀には存在したことが確かめられており、刺身の起源は14世紀までさかのぼることができる。 魚介類の生食については日本では古代から広く行われ、 『 日本書紀 』 で磐鹿六雁命が景行天皇に鰹と蛤の膾を出したとの記述があり、これが日本料理の起源という伝説がある。


★ 「醤油」

◆主張 : 韓国の液体調味料の専門企業トンウンFCは、 「 しょう油は韓国が元祖 」 であるとし、 「 世界市場で韓国の伝統醗酵食品のしょう油が日本の製品のように認識されていることを正したい 」 と主張している。 これについて、キッコーマンは 「 初耳です 」 とコメントした。

◆事実 : 実際には第二次世界大戦後に朝鮮半島に残された( 日本人が作った )醸造設備を利用して製造しており、韓国内で製造されている醤油の技術は日本発祥である。


★ 「納豆」

◆主張 : National Defense Journal の主張によると、 『 納豆は韓国のダムブックジャンが起源である。 「 朝鮮出兵から帰った加藤清正が九州に納豆を広めた 」 という熊本の農業高校教師の菊池、平野の研究がある。 一説には、7世紀中頃、朝鮮の僧侶が味噌玉麹豆を日本に持って行き、納豆を作ったという記録もある 』

◆事実 : 塩辛納豆に関しては、奈良時代に中国から伝わった豉が起源であると考えられている( なお、糸引き納豆に似た食品は韓国には存在しない )。


★ 「海苔、海苔巻き」

◆主張 : 韓国CBSノーカットニュースによると 「 我が国の海苔養殖が日本より先立って事実上世界初という事実を知っている人はあまり多くなく、海苔をキムチのように我が国の代表的な食べ物に育成しなければならない 」 と主張している。 また、のり巻き専門店 「 鐘路のり巻き 」 は、ウェブサイトで 「 我が国ののり巻きが日本に伝わって、彼らの習性や食生活に合わせて海苔寿司として発展し、私たちよりも記録が好きで、歴史歪曲を飯を食うように行なう彼らによって、逆として知らされたのではないかという疑問さえ起こります 」 と主張している。

◆事実 : 「 海苔の特性の上、ご飯を包んで食べる形態で取り扱うしかありません 」 と主張しているが、ご飯を包む板海苔は、江戸時代に和紙技術が進歩してその派生技術として誕生したものであり、その起源が江戸期の日本であったことは各種資料と交易記録からも明白である。 そして、韓国ののり巻きは日本料理に使われる巻き簾を使用する料理法も同じであるし、名称も韓国ではのり巻きを表す言葉がなく日本語と同じ 「 ノリマキ 」 と発音してきたものが、近年になって朝鮮語の国語純化運動によって 「 ノリマキ 」 を 「 キムパブ 」 というオリジナルの用語をつくって置き換えたものである。 この名称の経緯からも、のり巻きは名称とともに併合時代に日本から伝わったという定説でもある 『 日本由来説 』 のほうが信憑性が高い。


★ 「和牛」

◆主張 : 韓国の 『 月刊外食経営 』 において弥生時代の中ごろに朝鮮半島から日本列島に持ち込まれた牛があることを論拠に起源を主張している。

◆事実 : 和牛とは、明治時代に日本在来の牛と欧米の牛とを掛け合わされてできた、黒毛和種・褐毛和種・日本短角種・無角和種の食肉専門4品種の牛のことであり、公正競争規約上の定義では、上記の4品種間の交雑種及び4種の交雑種を含む5品種間内の交雑種が 「 和牛 」 と名乗ることを認められている。 そして、南部牛のように、北方から日本列島に持ち込まれた牛の存在を無視しており、朝鮮島由来の牛の血統が混じっていることを拡大解釈し、日本列島で行われた品種改良を一切無視している。


★ 「長崎ちゃんぽん」

◆主張 : 釜山駅近くで中華料理店 「 中南海( チュンナンヘ ) 」 を経営する衣が、中国のチャオマメンという麺料理が韓国華僑たちにより韓国に持ち込まれ 「 仁川地方の独特な食べ物 」 となり、日帝統治下に 「 ちゃんぽん 」 という日本語名が付いたと主張をしている。 また韓国語版wikipediaでも仁川由来説が記載されている。

◆事実 : 定説では明治32年、長崎の中華料理店 「 四海楼 」 の中国人 「 陳平順 」 によって発明、となっている。


★ 「 「日本」 の語源」

◆主張 : 歴史学者の朴炳植( パク・ピョンシク )が韓国語の 「 イルボン 」 が日本語の 「 ニッポン 」 の起源であると主張しており、朝鮮半島に存在した部族国家 「 ウガヤ 」 の国号が 「 ヤマト 」 であり、彼らが日本に渡り新しい国家 「 ナラ 」 を建てたと主張している。

◆事実 : 古代朝鮮語は全く解明されておらず、 「 日本 」 の現代韓国語読みの 「 イルボン 」 を 「 ニッポン 」 の起源とするのは無理がある。 日本へ渡り 「 ナラ 」 を建てたとあるが、DNA調査で日本人は全くの別人種だと判明している。 日本人は世界でも稀なY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ人種。 朝鮮半島や中国人は南方系0系統である。


★ 「 「君」・「僕」 「君が代」 の語源」

◆主張 : 李南教が、 『 「 君 」 は、邪馬台国を建てた伽耶諸国の狗耶国国王の 「 金 」 ( キム )氏が語源。 「 僕 」 は、狗奴国を建てた金官伽耶の弥烏耶馬国国王の 「 朴 」 ( パク )氏が語源。 「 君が代 」 は、本来 「 金家の世の中 」 と言う意味 』 と主張。

◆事実 : 君が代は平安時代に詠まれた和歌だとされており、現在の文面とはやや異なる。 何故古墳時代の話になってしまうかは不明。 また、実際は論争がまだ続いている邪馬台国の所在に関してもかなり断定的に 「 大阪周辺の邪馬台国 」 と 「 九州周辺の狗奴国 」 と述べるなど、日本の古代史をかなり都合よく解釈している側面が見受けられる。


★ 「 「くだらない」 の語源」

◆主張 : 韓国外国語大学校教養学部日本文化担当教授の洪潤基( ホン・ユンギ )が 「 くだらない 」 の語源は 「 百済ない 」 で、 「 優秀な百済の文物がないことはみすぼらしいこと = 百済・ない 」 が 「 くだらない 」 の起源であると主張している。 李南教が、 「 『 クダラナイ 』 という言葉は直訳すれば 『 百済にない 』 になる。 言葉の意味は 『 つまらない 』 だ。 『 良くて立派なものはみな百済にあるのに、これは百済にない。 だから、つまらない 』 という言葉だ 」 と主張。

◆事実 : 当時の否定形は 「 ない 」 ではなく 「 ぬ 」 であり、否定形は 「 動詞の未然形+ぬ 」 で表記されるものであり、名詞の 「 百済 」 に直接打消しの 「 ない 」 や 「 ぬ 」 が付くはずもないのは言語学の常識である。 「 下る 」 という動詞が未然形に変化して 「 くだら 」 + 「 ぬ( ない ) 」 となって 「 くだらない 」 となる。 「 下らぬ 」 とは公家言葉で下には行かないという意味も含む。 さらに当時の一般大衆が 「 百済 」 という言葉の存在を知っているとは考えられず、ホン・ユンギの主張の信憑性は極めて薄い。


★ 「 「竹島」 の語源」

◆主張 : 韓国地名学会が、 「 竹島 」 という名前が竹島の韓国名 「 独島 」 ( トクド )に由来するという主張している。

◆事実 : ここで説明されている1900年10月25日大韓帝国勅令第41号の 「 石島 」 が今の 「 独島 」 であるという説の根拠は方言の発音という一点しかなく根拠に乏しい。 日本の研究者には 「 石島 」 は現在の 「 観音島 」 を指すとするものもいる。 少なくとも日本が現在の竹島を 「 竹島 」 と呼ぶようになったとき( 1905年。 それまでは 「 松島 」 と呼んでいた )には、朝鮮半島においても 「 独島 」 という語は一般化しておらず、また、 「 竹島 」 の呼称は自然発生したものではなく政府によって命名されているため、 「 独島 」 が訛って 「 竹島 」 になったという主張には無理がある。


★ 「錦鯉」

◆主張 : 金方園水族館が、池を作る技術が百済から日本に伝わったことと朝鮮半島の故事に鯉に関わるものがあることから、錦鯉のルーツを日本ではなく韓国にあるものとしている。

◆事実 : 4世紀の中国の書物にすでに様々な色のコイについての言及があり、この主張は韓国発祥や日本に伝わった説の証拠にはならない( コイ自体は西アジア原産 )。 錦鯉と呼ばれる種類が出来上がったのは19世紀の新潟。


★ 「勾玉」

◆主張 : 韓国MBC放送の 「 勾玉の秘密 」 ( 2006/9/20 )において、 「 燦爛たる黄金文化を成した新羅人たちは金冠だけではなくすべての装身具に黄金で飾った勾玉を採用し、長い間日本国にまで伝えながら勾玉文化を形成して来たと見られる。 青銅鏡、刀と共に日本天皇が持つ三種の神器に属する勾玉は、韓半島から伝来されて日本建国神話にまで影響を及ぼしたと思われる 」 と主張。

◆事実 : 勾玉は縄文時代の日本が起源で、朝鮮半島に伝わったものと考えられている。 朝鮮半島で発見される翡翠製の勾玉については日本の糸魚川で産した物が発見されており日本から朝鮮半島に渡った物であり、朝鮮半島において遺跡より翡翠の生産跡地は発見されていない。


★ 「熊本城」

◆主張 : 2007年10月、朝鮮日報は 「 400年ぶりに和解した蔚山市と熊本市 」 と題して、熊本城の竹の丸特設ステージで開催された 「 友情コンサート 」 の模様を伝えた。 この中で、約400年前に加藤清正が朝鮮に出兵した際、蔚山市に駐屯し、その後敗走する際に築城技術者など1000人を熊本へ連行、彼らの技術によって熊本城が築かれたとした。

◆事実 : 熊本城が朝鮮式の築城方式から影響を受けたという記録や痕跡は存在せず、蔚山市で明・朝鮮軍と戦った蔚山城の戦いでは日本軍が勝利しており、この点で朝鮮日報の報道には事実と異なる。 蔚山市に城跡が残る蔚山倭城は加藤清正が縄張をして毛利秀元・浅野幸長らにより築城された日本式の城であるため、蔚山倭城の存在も朝鮮日報の説を裏付けるものではない。


★ 「琉球王国 ( 沖縄県 )」

◆主張 : 韓国・成均館大学の博士学位である鮮于栄俊・首都圏大気環境庁長が、 「 沖縄の旧称である 『 琉球国 』 が 『 古代の鬱陵島住民の移住によって建国された 』 」 と主張している。

◆事実 : 真偽は不明であるものの、琉球の正史では沖縄の地に逃れた源為朝( 鎮西八郎 )の子が琉球王家の始祖舜天になったとされている( しかし源為朝は上記のように歴史上はじめて切腹した人物としても知られている )。 ただし最近の研究で沖縄県の住民と九州以北の本土住民とは、同じ祖先を持つことが明らかになっているため源為朝の説はともかくとしても、鬱陵島からの移民が建国したと言う可能性は低い。


製品とは、

① ドイツ人が発明
  
② アメリカ人が製品化
  
③ イギリス人が投資
  
④ フランス人がデザイン
  
⑤ イタリア人が宣伝
  
⑥ 日本人が小型化もしくは高性能化に成功
  
⑦ 中国人が海賊版を作り
  
⑧ 韓国人が起源を主張

















2018/12/16 11:25 事実 TB(-) CM(0)
※転載元http://ironna.jp/article/1497?p=1

前回、韓国がなぜ反日活動を執拗に行うのかを説明し、
その問題を根本的に解決するためには、歴史を直視する事が必要であると結びました。
そこで今回は、日韓の近代史を振り返って見ましょう。

西暦1392年、それまで朝鮮半島を支配していた高麗王朝の王位を李成桂という男が簒奪しました。
彼はすぐさま明に使者を送り皇帝に国名を選んでもらいました。それが二十世紀初頭まで続いた朝鮮という国です。

19世紀中頃になると、当時、世界を覆いつくさんばかりの欧米列強の魔の手が、
とうとう北東アジアにも伸びてきました。まず、清国が阿片戦争で血祭りにあげられ、
その後、西欧諸国は日本や朝鮮に対しても、首都の近くまで船を進めて開国を迫るようになってきました。
日本における、その典型的な事件がアメリカのペリー提督率いる黒船来航でした。

当初、日本では、外国人を国内に入れるなという意見が大勢を占めていましたが、
欧米の科学力に裏打ちされた軍事力を知るにつけ「これは、
とてもかなわない」と思う人間が増えはじめ、
更に清国の現状を知り「日本も欧米の植民地にされるかもしれない」という猛烈な危機感を抱いた人たちが、
欧米に対抗すべく中央集権体制の国家を樹立したのが明治維新です。

そして西欧列強国に対抗するには、彼らから学ぶしかないと考えた日本政府の要人たちは、
なりふり構わず西洋の社会システムを模倣しました。
また、彼らの軍事的脅威に対抗するために隣国の朝鮮と同盟を結ぼうと考え、
国の統治体系が変わったこともあり、改めて国交を結ぶべく使者を送ったのが西暦1868年です。

当時、欧米の軍事力は圧倒的に日本を凌駕していたのですから
日本の立場としては少しでも仲間が多い方が良いと思うのは当然のことであり、
また、朝鮮が日本を狙う侵略国に占領されてしまえば、
その地理的位置から自国の防衛が非常に困難になるため、
日本としては、何としても朝鮮と同盟関係を結ばねばならなかったのです。

ところが朝鮮は、長らく華夷秩序体制
(中華皇帝を中心とした国際関係。周辺諸国を夷狄の王として中国より格下に位置付けた冊封体制)
の中にいたため自分達より中華から遠い日本を蔑視していただけではなく、
西洋人を夷狄として忌み嫌っていました。
その外国と条約を結んだ日本から中華皇帝以外に使用を許されない「皇」の字が入った親書が来たものですから、
親書の受け取り自体を拒否したのです。

本来、日本は中華冊封体制の外に位置し、
独自の天皇を頂く国ですから「皇」の字を使用したとしても何の問題もないのですが、
朝鮮側の一方的な思い込みにより国交樹立のための交渉のテーブルに着くことすらかないませんでした。
(高まる中国や北朝鮮の脅威に日韓が連携して対抗しなければならないというのに、
日本にとっては言いがかりの理由で会談すら拒否する、
今の大統領を見れば、こういうところは何も変わっていないことが良く分かるでしょう)

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西郷隆盛

そこで、日本国内に巻き起こったのが、朝鮮に出兵して武力で従わせようとする「征韓論」です。
しかし、当時、参議であった西郷隆盛は自分が全権大使として朝鮮を説得し、
平和的に同盟を結ぶと言い張り、西郷大使の派遣は実現まであと一歩の段階まで迫ったのですが、
日本国内の政変により日の目を見ませんでした。

簡単ではなかった朝鮮の独立

その後、日朝両国は互いに国内の政変などの紆余曲折を経た後、
江華島事件を契機として「日朝修好条規」を締結しました。
この条約は、この時代における他の条約と同様、
ご多分に漏れず不平等条約でしたが、一つ大きな違いがありました。

それは第一条において「朝鮮は自主の国であり、
日本と平等の権利を有する国家と認める」と、わざわざ朝鮮が独立国家であると謳っていることです。
しかも日本は、この日朝修好条規締結の5年前、清との間に両国が対等である事を確認した
「日清修好条規」条約を結んでいました。
つまり日本=清、日本=朝鮮という対等関係になれば長
年主従関係にあった清国と朝鮮も清=朝鮮という対等関係になるという理屈です。

しかし、ことはそう簡単に行くはずもなく朝鮮の独立には、それからも歳月を要しました。
とはいえ、この条約をきっかけに、建国から約500年の時を経た朝鮮が、
ようやく独立への第一歩を踏み出したことには間違いありません。
ただし、ここで確認しておかねばならないのは、
日本は善意だけで朝鮮を独立させようとしていたのではないということです。

例えが適当かどうかわかりませんが、自分の二軒隣の家が燃えている場面を想像してください。
隣の人は、そんな大変な時だというのに、自分の住んでいる家は借家なので、
燃えても仕方ないと思って逃げ出そうとしているようなものでした。
当時の国際社会には消防局もなく、
しかも日本は新しい家の建築中で他家の消火活動を行う余裕がなかったのですから、
隣の朝鮮に住んでいる人たちに、本当は借家ではなく自分の家であるとの自覚を持ってもらい、
自分の家は自分で消火してもらおうと懸命だったのです。

そのために日本は朝鮮の自主独立派に軍事顧問を送るなどして援助し、
清からの独立を後押しした結果、その独立派が政治の主導権を握り、
そのまま朝鮮も近代化への道を歩むかと思われましたが、
従来通り清の冊封体制を維持しようとする守旧派がクーデターを起こしたため、
一転して独立派は窮地に陥りました。

朝鮮では古来より外国勢力の助けを借りて政敵を倒すのが常套手段でしたから、
この時も独立派は遅滞なく外国勢力に助けを求めたのですが、
問題は、その相手です。この時、独立派の頭目である閔妃が頼ったのは
従来から付き合いがあり独立を支援してくれる日本ではなく、
対立する守旧派の後ろ盾である清の軍人袁世凱でした。

結果、従来からの親清派でクーデターの首謀者である大院君(国王の父)は清に捕らえられ、
その一派と対立していた日本寄りの閔妃が、一夜にして親清派に転向したのです。
もはや国家国民や政策など関係なく、ただ己の権力を維持するための争いでしかなかったというわけです。

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中華民国の初代総統:袁世凱

このような行動は我々日本人には理解しにくいところですが、
もともと裏切りによってできた国であり、事大主義政策が国是とも言える朝鮮にとっては当たり前のことで、
また一方の袁世凱にとっても朝鮮を牛耳る、またとない機会なので断る理由はなく、
結局、割を食ったのは朝鮮独立のために援助し続けてきた挙句、
いともたやすく裏切られた日本だけだということです。

朝鮮の基本政策である事大主義を日本の諺で言えば「長い物には巻かれろ」という意味で、
長年、大国に隣接してきた小国としては、ある意味当然の選択だったのかもしれません。
当時の清は大国でしたが、一方の日本は、まだまだ弱小国だったのです。
弱小国の日本は、この動乱で自国の公使館が襲撃を受け、
軍事顧問や外交官が殺傷されましたが何も出来ず、
朝鮮独立のために尽くした日本の努力は水泡に帰したのでした。

こうして朝鮮は王の外威である閔氏一族が近代国家への道を閉ざし、
再び国民の生活を顧みない政治を行うようになりました。
しかし、朝鮮にも心から祖国を憂う骨のある人間がおり、
この二年後にクーデターを起こして閔氏一族を追放し、国王を皇帝と改め朝鮮の独立を宣言しました。
ところが、またも閔氏の要請により出動した清軍によって独立派が駆逐され
朝鮮の独立はわずか三日で終わってしまいました。
まったく自国の独立運動を自国民が妨害するのですから、どうしようもありません。

結局のところ、この時代の朝鮮の権力者たちは己の権力を如何に保持するのかという事しか頭になく、
国家の独立、ましてや民の暮らしの事などは全く考えていなかったのです。
そして、この動乱の際にも、また多くの日本人居留民が犠牲になりました。
このような私利私欲のための裏切り行為や反対派に対する鬼畜のような残忍な所業を目の当たりにして、
忍耐強い日本人の中にも朝鮮や清に愛想を尽かす人が多くなり始め、
その意見の代表的なものが、このころ発表された福沢諭吉の「脱亜論」です。


日本としては自身が関与しなくとも朝鮮が名実ともに独立してくれさえすれば良く、
あえて手のかかる朝鮮半島から手を退きたかったのですが、
その後に清が居座るようになっては困るので、天津条約を結び両国が同条件で撤兵することとしました。
このとき日本は外国からの侵略などの特殊なケースを除き
朝鮮半島から永久に撤兵すべきであると主張しましたが、
清としては属国である朝鮮の内乱などに「宗主国が出兵するのは当然だ」と一歩も譲らず、
最終的に互いの国が、今後、朝鮮半島に派兵する場合は相互通知することで合意しました。

ロシアにすり寄る朝鮮

ようやく日清両国が兵を退き、平和になるかと思われた朝鮮半島でしたが、
相変わらず朝鮮は自立するでもなく、新たな後ろ盾を求めて今度はロシアに接近し始めました。
そんなことをすれば宗主国の清が黙っているはずもなく、
袁世凱は閔氏一族のライバルである大院君を伴って朝鮮に乗り込み
朝鮮政府を指導する立場に就任しました。

しかし、それでも朝鮮国王はロシアへの接近を止めませんでした。そ
の心境は「自分で独立するのは面倒なので誰かに頼りたいが、
特定の誰かには支配されたくない」という感じなのでしょうか、
清の顔色を伺いながら、あちこちの国に色目を使うさまは、なんとも哀れとしか言いようがありません。

それでも朝鮮政府は一定の開化政策を試み、欧米諸国から借金をしようとしますが、
朝鮮独自の発展を望まない宗主国の清が許すはずもなく、
様々な政策が、ことごとく失敗に終わり、それでも王侯貴族たちは民衆の生活を顧みなかったので、
庶民の間にどんどんと不満が高まっていきました。

そして1884年に朝鮮国内で大規模な反乱が起きたのですが、
事態を収拾する能力がなかった朝鮮政府は、またも清に派兵を要請しました。
それを受けた日本も過去の動乱で自国民が虐殺された経験から、
天津条約に基づき居留民保護のために派兵しました。
そして反乱が収まっても日清両国が一歩も引かず、とうとう戦争になったのです。それが日清戦争です。

この戦争は詰まる所、朝鮮における日清両国の権力闘争でしたが、
その影響は朝鮮半島にとどまらず、広く、その後のアジアの運命を大きく変えました。
もし、清が勝利していれば、朝鮮はもとよりアジアの多くの国は、今でも欧米の支配下にあったかもしれません。

何故ならば、日本が朝鮮の独立のために戦ったのに対して、
清は現状維持=植民地支配肯定が戦争の目的だったからです。
事実、日本は「宣戦ノ詔勅」から「講和条約」に至るまで終始一貫して朝鮮の独立を謳い、そのために戦いました。

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日清講和条約が締結された割烹旅館。日清講和記念館には
会議の様子を描いた画なども展示している

それは、日清講和条約(下関条約)第一条を見れば良く分かることで、
そこには
「淸國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス
因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ淸國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ」と
明記されています。

講和条約=戦争の目的=朝鮮の独立ということで、しかも条約において
一番重要なことを定める第一条に明記されているのですから、
これ以上の説明は不要でしょう。
なにも日本が純粋に朝鮮の独立のためだけに戦ったと言うつもりはありません。
当然、自国の利益のために戦ったのですが、いくら自国の利益のためとは言え、
古今東西、当事国が何もしないのに、
勝てる見込みの少ない戦争を他国の独立のために多大な犠牲を払って戦った国があったでしょうか。

そして、その言葉通り朝鮮は、日本の勝利により有史以降初めて独立したのでした。
その象徴が、それまで建っていた属国の証である「迎恩門」
(歴代朝鮮王が中国皇帝の使者を迎えるために建てられていた門)
を取り壊し、文字通り朝鮮の清からの独立を記念して、その隣に建てられた「独立門」です。

独立門は、現在も韓国の首都ソウルにある西大門に建っていますが、
多くの韓国人が、この門について日本から独立したときに建てられたものだと誤解しています。
普通に考えると、この門が完成した1897年11月20日という日付を見れば、
直ぐその間違いに気が付きそうなものですが、それすら分からないということは、
韓国において歴史は事実である必要がないということなのでしょう。

もう一点、韓国の歴史観を教えてくれるのが、この「独立門」の扁額は李完用の作品だということです。
彼は日韓併合条約に調印した人物で、
本当のところはともかく韓国国民からは親日派=売国奴ナンバーワンとも言われ、
2007年に作られた事後法により、彼の子孫は財産を強制的に没収されるくらい憎まれています。

それなのに、その彼の作品が史跡として登録され、
そこに多くの人が観光に訪れているのを見れば、
いかに韓国国民の多くが歴史の事実を知らないのかということが良く分かります。

さて、それはともかく日本と清の講和条約により、目出度く独立国となった朝鮮。
日本としては多大な犠牲を払って獲得した独立ですから、
彼らが自力で国家発展の道を歩んでくれるものと期待していましたが、そうはいかないのが朝鮮という国です。

彼らは、口では独立と言っていましたが、
とても当時の国際社会の荒波を乗り切っていけるだけの力はなく、
彼らも本心は独立が現実的ではないことを理解していました。
ですから、当初は単に宗主国を、戦争に負けた清から勝った日本に乗り換えるくらいのつもりだったのでしょう。

しかし、日清講和条約締結のわずか6日後に起きた「三国干渉」により、事態は一変します。
三国干渉とは、日清戦争において日本の勝利が濃厚になり、
自国の満州や支那における権益に対して
危機感を持ったロシアがドイツとフランスを巻き込んで日本に圧力をかけ、
日本に日清戦争で血を流して獲得した大陸における権益を放棄させた事件です。

その大義名分が、日本が遼東半島を所有すれば「極東平和の妨げになる」というものでした。
しかし、日本が放棄させられた権益は、
その後、彼ら自身があの手この手で清から奪いとったのですから無茶苦茶という他ありません。
しかし、この時代は力こそ正義であり弱小国日本としては黙るしかありませんでした。
一つ言える事は、いつの時代も臆面もなく「平和」という言葉を使う人間や国は信用出来ないということです。

その結果、朝鮮は宗主国を日本からロシアへと乗り換えました。
朝鮮としては、宗主国は強いことが第一条件ですから、
より長いものにまかれることは当然の行動でした。
しかし、日本としては多大な犠牲を払って獲得した朝鮮の独立や日本の権益が失われることを座視できるはずもなく、
それに呼応した日本派とロシア派の争いが朝鮮政府内で勃発し、
しまいには国王がロシア公館に逃げ込む事態にまで発展しました。

その後、国王を手の内に取り込んだロシアは朝鮮での権益をどんどんと拡大させていきます。
日本としては日清戦争で多大な犠牲を払ったにもかかわらず大
陸での権益を三国干渉で横取りされたうえ、
また朝鮮での権益を横取りされそうになっているわけですから、たまったものではありませんでした。

しかも、前述したとおり朝鮮をロシアにとられるということは
権益云々というより国家としての死活問題なわけですから、
これだけは譲れなかったのです。当初、ロシアに対して大幅に国力が劣る日本は
懸命に外交努力を重ねましたが、力(軍事力)なき外交はみじめなものでした。

当時、世界一の陸軍国であるロシアは東洋の島国のことなど歯牙にもかけず、
だんだんと交渉の余地はなくなり、とうとう日露戦争が勃発してしまいました。
結果、辛くも日本は勝利をおさめましたが、相変わらず朝鮮は大韓帝国と名を変えてもシャキッとしません。

日本としては、二度の戦争を行い朝鮮半島や満州におけるロシアの影響力を排除したものの、
相変わらず大韓帝国が、またふらふらと他国にすり寄ってはかなわないので、保護国としました。
しかし、彼らは相変わらず密使を送るなど、ちょろちょろとした動きを止めませんでした。
そのような彼らの行動に対して日本国内では「朝鮮併合すべし」という意見が強くなってきました。

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伊藤博文

しかし、一方で財政上の理由などで反対する人も沢山おり、
この問題は文字通り賛成派と反対派で国論を二分していましたが、
その状態にけりをつけたのが現在韓国で英雄と崇められている安重根その人です。
彼が併合に慎重だった伊藤博文を暗殺したため、日本国内の世論は、一挙に併合賛成へと傾いたのです。

「英雄視」の疑問

この事件についても現在の韓国では、韓国義勇軍による戦闘行為だったと教えていますが、
当時の法令や常識に照らしても理解不可能な話です。
第三国の領土において軍服を着用せず、非戦闘員に対して、
いきなり銃口を向けるという卑怯な手段により殺害した行為を独立戦争と呼ぶのはあまりにも常軌を逸しています。


さらに彼の主張は、暗殺後に行われた裁判での陳述や彼が唱えた東洋平和論を読めば分かるのですが、
特段、反日思想に凝り固まっているわけではなく、
欧米列強の侵略に対する日中韓の連携を呼びかけているだけで、
暗殺は当時の朝鮮人が持つ伊藤博文個人に対する誤った認識に基づくものであったと考えるのが妥当です。

キャプチャ20160211789657885
安重根義士記念館敷地内に建立された
安重根像=韓国・ソウル市内

いずれにしても、自国が日本に併合されるきっかけを作った人物を、
彼の本心を理解せぬまま、ただ単に日本の偉人を殺害したという理由だけで
英雄視しているというのは実に皮肉なものです。
まあ、客観的に見れば日本と併合して初めて朝鮮が近代化したわけですから、
ある意味祖国を救った英雄とも言えますが・・・。


少し話はそれますが、他にも、韓国では上海天長節爆弾事件で日本人2名を殺害し、
中国国民党から大金をもらったとされる尹奉吉も英雄視されています。
とにもかくにも、現代韓国においては手段や動機にかかわらず
日本の要人を殺害した人間が英雄視されているのが現実なのです。


普通に考えれば他国の要人を暗殺した人物を国家が英雄として崇め奉るというのは、
その国のことを見下していなければできない行為で、
韓国人が日本人には何をやっても構わないと思っている証拠です。

話しを日韓併合に戻しますが、
現代韓国では日本が武力で大韓帝国を植民地にしたと信じている人が少なくはありません。
しかし、日本は国対国として朝鮮に武力を行使したことはなく(正当防衛等の突発事案は除く)、
日韓双方が平和裏に話し合った合意に基いて、国際法に則った手続きにより大日本帝国が大韓帝国を併合したのです。

また、植民地と併合では全く意味が違います。
イギリスを例に挙げれば、イギリスはアメリカやインドを「植民地」として支配しましたが、
北アイルランドやスコットランドは「併合」して同じ国になり、現在もそのままです。

また、日韓併合を会社に例えるならば、業績が悪化した会社(朝鮮)をベンチャー企業(日本)が、
子会社にするのではなく吸収合併したようなものです。
その結果、日本が朝鮮の借金を棒引きし、インフラ整備などに莫大な資金を費やしたのは、
同じ国になったのですから当然のことです。

そして、その過程で新会社の方式を取り入れて従来の方式を廃止することもあれば、
人事の面でいろいろと差が出たりするのは会社合併でよく見られる光景と同じです。
そんな中でも日本は朝鮮の王家に敬意を払い、王族や一部の貴族を併合後も、その地位にとどめました。

にもかかわらず、何が何でも日本が無理矢理朝鮮を植民地にしたというのは、
当時、韓国最大の政治団体「一進会」が併合に対して積極的賛成であったという事実をも無視し、
当時の人たちが無能で無為無策だったために併合されたと言っているのと同じことで、実に彼らを馬鹿にした話です。


ちなみに、当時の弱小国日本は、三国干渉の苦い経験から事前に日韓併合について主要国に打診しており、
その結果、米英は賛成し、清国を含む、その他の主要国から反対の声は全くありませんでした。
(それどころか米英から「韓国の面倒を見るように」と、押し付けられたという説もあります)

こうして、新生日本が朝鮮に親書を送ってから42年の歳月をかけて、
ようやく日本は朝鮮半島の住人とともに西欧列強と戦うスタートラインについたのでした。














2018/12/15 07:30 事実 TB(-) CM(1)
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『南京大虐殺』を検証してみたいと思います。

「南京大虐殺」が虚構である理由

◆諸説ある『南京大虐殺』の虐殺数

旧日本軍の虐殺数は、日本軍と戦った蒋介石が率いる国民党政府は、
1947(昭和22)年の南京戦犯裁判軍事法廷で30万人以上とし、
また中国共産党(現在の中国政府)は、30万~60万人で100万人と言うこともあります。

東京裁判(米国を中心とする連合国が日本を裁いた裁判)では、20万人以上です。

アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』では26~35万人。
日本の識者の研究 は20 万人を上限として、4 万人、2 万人などがあります。

しかし、国際委員会の活動記録(1939年に出版)では、殺害件数は26件と報告
(南京事件の研究家・板倉由明氏は46件と分類)しています。
しかも目撃されたものは1件のみで、他は伝聞や噂によるものです。

ちなみに米国は、広島や長崎に原爆を落とし、
東京空襲では一夜で10万人の市民を虐殺するなど、
トータルで30万人の日本の非戦闘員を殺害しました。
これは否定しようがない事実です。

米国は自国の大虐殺を打ち消すため、
ドイツと同じようなユダヤ人大虐殺に匹敵する事件を日本を裁くために、
でっち上げる必要があったわけです。

そこで東京裁判で、はじめて「南京大虐殺」をつくり上げました。

裁判では、日本軍がやったこととして虐殺などの証言は嘘でも認められ、
それに対して日本側は反論の場も与えられない一方的な裁判を行ったのです。


◆当時の新聞記者の証言「見たことも聞いたこともない」

日本軍が南京に入城したのは、1937(昭和12)年12 月、
世界のマスコミも含めて100人を超える報道機関が日本軍と南京城内に入っていますが、
しかし当時30万人にも及ぶ虐殺があったという報道は当時されていません。

朝日新聞は従軍記者とカメラマンを16人派遣し自動車を使って南京戦を取材 しました。

南京戦での朝日新聞従軍記者の証言として、
「南京事件ねえ、全然聞いてない。
もしあったとすれば、記者の中で話が出るはずだ。
記者というのは、少しでも話題になりそうなことは、互いに話をするし、
それが仕事ですからねえ。
噂としても、聞いたことがない。
朝日では、現地記者を集め、座談会もやったが、あったなら話がでるはずだ。
報道規制?
何も不自由は感じていない。
思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていた。」
(橋本登美三郎氏 朝日新聞南京派遣記者団キャップ)

「私が編集局長の時、南京に特派した記者たちを集めて、一人一人 聞いてみたが、
そのようなことは見たことも聞いたこともない、という返事ばかりだ。
何万、何十万なんていう虐殺など、絶対にない。」
(細川隆元氏 朝日新聞編集局長)


◆30万人の遺体が出ていない

アメリカが広島に落とした原爆で亡くなったのは10万人、
だとしたら日本軍は原爆3つ分の兵器に匹敵する大虐殺を銃剣で行い、
しかも世界のマスコミが一緒に入城していながら、誰にも見つからず
12月の凍った土地を掘って30万人の遺体を埋めたということになります。

また南京では戦後、ビル建設も行われていますが遺体が出てきた話は全くありません。

ですから中国が主張する日本軍の30万人大虐殺は常識的に考えてあり得ません。


◆中国が『南京大虐殺』を捏造する訳―対日外交圧力のカードとして利用

1998年、当時の中国の江沢民国家主席は会議の席上、
「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示し、
歴史問題を「対日外交圧力の重要カード」と位置付けていたことが
「江沢民文選」の中で明らかになっています。

ですから、事実を捻じ曲げてでも、「日本を悪者」にしておく必要があるのです。


◆改革が求められる日本の「自虐史観教育」 (例・中学校の教科書)

東京書籍
「首都南京を占領した。
その際、婦女子を含む約20万人とも言われる中国人を殺害した(南京大虐殺)。」 

教育出版
「日本軍は、シャンハイや首都ナンキンを占領し、
多数の中国民衆の生命をうばい、生活を破壊した。
ナンキン占領のさい、日本軍は、捕虜や武器を捨てた兵士、子供、
女性などをふくむ住民を大量に殺害し、略奪や暴行を行った(ナンキン虐殺事件)。」


戦後の教育の中で捏造された歴史が子供たちに教えられています。
これでは日本の子供たちが自分の国に誇りを持てるわけがありません。
日本の子供たちが自分に自信が持てない理由の一因でもあります。
捏造された歴史を正し、先人の名誉を回復し、日本人の誇りを取り戻すことが必要なのです。


【参考図書】 『南京事件の総括 虐殺否定十五の論拠』田中正明著/謙光社 
『南京虐殺の検証―南京で本当は何が起こったのか』阿羅健一著/徳間書店 
『南京事件の核心』冨澤繁信著/展転社   
















2018/12/14 08:32 事実 TB(-) CM(0)
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