日本は日本人の国であり、決して不法入国者等の外国人の国でありません。※各サイトからも転用させて頂いておりますので、著作権等を気にされる方はご連絡下さい。直ちに削除します。
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赤い彗星

Author:赤い彗星
日本国は日本人の国であり、捏造の歴史や逆差別を武器にする土人や蛮人に、好き勝手にされて良い国ではありません。
大和民族よ!そろそろ敗戦ショックから立ち直りましょう!
戦後70年の日本の歴史教育は、二度と日本を強くしない為の戦勝国の押し付けだと気づいて下さい!

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九州・博多から侵略する2万人にのぼる元・高麗連合軍は、
兵の数の優位と鉄炮(てっぽう)なる新兵器、集団戦法などを駆使し、
日本の武士団を撃破しては町を焼き払い、逃げる民間人を殺すなどやりたい放題。
また、捕らえた女性をひもで数珠つなぎにし、日本の攻撃から船を守る盾(たて)にしたほか、
拉致した子供を奴隷として高麗国王に献上するなど、残酷で非人道的な行為も数限りなかった。
 
◇侵略される町々

文永11年10月20日、船で博多湾に集まった元・高麗連合軍の兵は
早朝を期して上陸を始めた。
日本側は鎌倉・北条時宗と京都へ敵襲来の知らせと援軍を求める急使を送ると、
大宰府に本陣を置き、至急集まった周辺の御家人ら総勢5千数百人で待ち構えた。

最初に戦闘状態に入ったのは午前10時ごろ。
場所は上陸地点のひとつ、百道(ももち)原をさらに進んだ麁原(そはら)。
相手はキム・バンギョン率いる高麗軍約4500人で、迎え撃つ日本側は約1300人とも。

前日に元軍のホン・ダク率いる先遣隊が占拠した
小高い「麁原山」周辺をめぐる攻防戦とみられるが、
数で劣るのに単独で突っ込んでいく日本に対し、
鉄炮などの新兵器と集団戦を展開する高麗軍にじりじり押される。

ここで菊池武房らは約3キロ東の赤坂に撤退することを決め、
途中に湿地帯が広がる鳥飼潟へ高麗軍を誘い込む。
すると、術中にはまった高麗軍はぬかるみに足をとられて思うように進むことができず、
戦闘は膠着(こうちゃく)状態に陥る。

一方、元・高麗連合軍約5400人に上陸された箱崎には
島津氏、少弐氏、大友氏などから1000人しか動員ができず、いきなり劣勢に立たされる。

日本側の大将・少弐景資の放った矢が、
元軍に2人いた副司令官のうち1人を射抜き、負傷させる戦果もあったが、
博多の息浜(おきのはま)まで攻め込まれるなど、やりたい放題に暴れられる。

この戦いで箱崎(筥崎)神社が焼失する。
博多の中心部でも元や高麗の兵による殺害や略奪、放火などが横行したことで
地は血に染まり、空は炎で真っ赤に染まったともいわれている。
 
◇相次ぐ残虐行為

このような行為は博多の前の戦場だった対馬と壱岐でも同様で、
高麗の歴史書には、
「入対馬島、撃殺甚衆」と、キム・バンギョンの高麗軍が対馬で島民を皆殺しにしたとする記録が見られる。

日蓮宗の宗祖・日蓮が当時、関係者から聞いた出来事をまとめた文書にも同様のことが書かれている。

生け捕りにされた女性は手のひらに穴が開けられ、
ひもを通されると数珠つなぎにされ、日本の攻撃をかわす盾として船壁に並べられたという記述は残酷で生々しい。

奴隷の手に穴を開ける行為は高麗以前から朝鮮半島にはあったとして、
日蓮はこれを高麗の仕業と断定しているが、伝聞をもとにした記述のため、異論も出ている。

ただ、山に逃れた島民をしつこく捜す元と高麗の兵士が、
赤ん坊の泣き声などをたよりに見つけ出すと全員を殺害し、赤ん坊も股裂きなどにした残虐な話は数知れず。

壱岐でも同様の行為があり、元・高麗連合軍が暴れ回った後は武士だけでなく
一般島民の死体の山で埋まり、生存者はわずか65人だったともいわれている。

さらに、元の総司令官が帰還後、日本から連行した少年・少女200人を
奴隷として高麗国王と妃であるフビライ・ハンの娘に献上するといった
拉致同然の行為が高麗側の記録で確認されている。


◇突然に消えた敵

戦いは元・高麗連合軍が優位のまま夜に入った。
ここで双方とも兵を引くのだが、元・高麗連合軍は陸地に前線基地を設けることなく、
全軍、博多湾に停泊していた船に引き払ってしまったのだ。

しかも、一夜明けるとあれだけ湾内を埋め尽くしていた船がすべて姿を消していた。
まるで忍術を使ったように影も形もなくバッと消えていたのだ。

当然、今日も戦いが続くと思っていた日本の御家人らは、
キツネにつままれたようにあっけにとられたことだろう。

元の記録には戦ったことだけが記述されているが、
高麗の記録にはこのときのいきさつが多少なりとも書かれている。

それによると、船に帰投後、元の総司令官、クドゥン▽副司令官、ホン・タグ▽高麗軍司令官、キム・バンギョン-が
今後の展開について意見を交わしたとされている。

キムが「敵地に入って士気も上がり、必死の覚悟で戦っている」と戦闘の継続を主張したが、
クドゥンは「疲弊している兵士をこれ以上使い、日増しに増える敵と戦うのは良策ではない」として撤退を決めたという。

その決断の裏には、少弐景資の矢で負傷した元の副司令官の存在や、武器・食料の補給の問題もあっただろう。

でも、気象や潮の流れなどの条件が重ならないと船を動かすことはできず、
しかも渡航に1カ月かかった時代である。
900隻の大船団が遠くの沖合にいるならまだしも、
すべてが忽然(こつぜん)と海上から消えたのはミステリーとしかいいようがない。

これを“神風”、つまり台風を原因と見る向きもあるが、どうやら、それだけではなかったようである。










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2017/09/25 07:38 事実 TB(-) CM(0)
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